哲学の存在。

今日はやたら小見出しが多い気がするけれど、最近こういうことについて考えることが多いので書いてみる。

哲学の存在意義について考えてみた時、やはり先日書いたように
『哲学とは無駄学問ではあるが、人間にとって必要な学問である』
といえると思う。

でも、人間の長い長い歴史の中で(といってもたかだか数千年だけれど)哲学者とその周りの人たちが『自分たちは何故生きているのか』ということを考えるあまり、今やらなくてはならないこと(困窮している人たちを助けるとか)ができていなかったという事実もある。
そこを考慮に入れれば、とある人が言っていたのだけれど哲学とは時として人に害を与える学問でもあるのかもしれない。

先日書いた盲目の話に少しだけ絡めれば、自分は哲学という(その人にとって)崇高な学問を考えているのだという自己満足によって周りが見えなくなり、その人が本当にやらなければならないこと(上の例えのように、政治家が困窮している人を助けるようなこと)が出来なくなってしまうのではないだろうか。

幸せについて考えるということは、それ自体は結論の出ないことだし人によって考え方違うから*1、ある意味無駄である。
しかしながら今後の人生を生きる上でそれを考えることは重要である。(考えなければならない時期が必ずあると思う)
だからといって、幸せについて考えているということに満足してしまって本来今やらなければならないことを見失ってよいわけではない。

大きなことを得ている時も、小さなことを得ている時も、それを得ているということに満足せず、常に客観的な*2で自分を見てみるということが、blindnessに陥らない一つの方法だと思う。

今の自分はblindnessに陥るのが怖い。過去にそれで周りにとても迷惑をかけてしまったから。だから、自分に対しては常に冷静でありたいと思う。

少し論点がずれちゃったような気もするけれど、今日はこんなもんで。

*1:哲学とは結論が出ないものであり人によって考え方は違うものである

*2:自分で見ている以上どうしても主観が入ってしまうけれど、出来る限り客観的な目で見てみるということ