本能寺の変の真実。
昨日ふらふら〜とネットしてたら、gooにて本能寺の変に関する話題が載ってたので、それについてちょっとばかし書いてみたり。
よく言われるところに、明智光秀はなぜ織田信長を討ったのかという謎がある。この謎については恨み説やら公家が関与している、さらには羽柴秀吉が関与している、など知っているだけでも10以上はある。秀吉やら家康が関与しているとかいう説は論外としても、恨み説あたりは信長の性格を考えれば妥当というのが定説みたいになっている。
勝手に予想するに、
- 秀吉の異例な出世に対する自分の出世の遅れに対する不安
- 中国地方平定(=毛利氏が降伏)した際にはその当時の居城坂本城(琵琶湖周辺)を取り上げられ、代わりに出雲地方へ領地変え対する不安
- 公家に対して距離の近い光秀にとって、公家を蔑ろにする信長に対する不信感
- いつか織田家を追放されるのではないかという恐怖感
- 日頃からの恨み
- 偶然にも信長が油断していた好機
などのことが絡み合って起こった出来事ではないかと思う。
さらによくいわれるところに、
明智光秀=南公坊天海であるかどうか。
これについてはもう否定されまくっているのでここであまり書くこともないけれど、
とあるサイトで光秀=天海であるという証拠として、
というのがあった。
まず最初の桔梗紋については、明智家は源氏であり、徳川家も源氏(を名乗っている)であり、桔梗紋は源氏の家紋なので、使われることについてはごく当たり前と言える。*1
次に秀忠と家光について。当時はその家で良く使われる漢字というのが存在して、徳川家の場合は家や忠などがそれにあたる。秀忠の場合、秀の由来は秀吉である。家光についても、光は松平家の先祖の一人から拝借したもの。
とはいえ、こういった話は確かにミステリーであり、面白いのかも。