後世の評価

今日のキーワードは"今川義元"、"桶狭間の戦い"、"織田信長"です。おそらくほとんどの人が今川義元の生い立ちは知らなくてもどれも名前くらいは知ってるはずす。もしこの中の一つでも分からない単語があったら、もう一度日本史を勉強しなおした方が良いですよ。中学生程度の日本史の知識を持ってても生活の邪魔にはなりませんよ、たぶん。

で、今川義元。この武将、一般に高い評価は受けてない。歴史ドラマで桶狭間なんぞやる日には、織田信長に負けた武将として敗将扱い。PS2の戦国無双というゲームの中では完全なるバカ殿として登場。いくらなんでもこの扱いは可哀想すぎる。

なぜ可哀想かと言うと、別に今川義元はバカ殿であったわけではないから。今川義元と言えば、若年ながら花倉の乱*1という有名な家督争いに勝利し"海道一の弓取り"と呼ばれるくらいの武将。さらには隣国の武田家・北条家とも婚姻を結びいわゆる甲相駿三国同盟を実現するなど外交でも力を発揮*2桶狭間の戦いの直前には駿河・遠江・三河・尾張の一部を領し、まさに位置的にも実力的にも家柄としても"天下に一番近い武将"。とてもバカ殿と言えるような武将ではないのです。

ではなぜ評価が低いのか。その最も大きな理由は"桶狭間の戦い"。義元率いる今川軍は総勢約2万7千人、それに対し信長率いる織田軍は4千ちょっと。たとえ奇襲をしても信長が勝てる可能性は万に一つも無い状態。昼寝をしてても勝てる戦にも関わらず、情報戦において敗戦、ちょっとした油断、そしてちょっとした運の差で見事に大敗してしまった。ここまで大きく負けた武将というのはちょっと珍しい。

この戦いの後、今川家は巨人を失い一気に衰退、織田家はかつてのライブドアの如く株価がうなぎ上り。義元の評価は一度のミスにより"海道の弓取り"から"バカ殿"へと変化していきます。

と、ここまで書いておきながら義元並のミスをした武将が一人出てくるわけです。すなわち"織田信長"。信長も桶狭間の戦いから約22年後の1582年に本能寺の変に倒れるわけで、これも義元同様ちょっと油断から命を落とします。しかしながら後世の信長と義元との評価は天と地ほどの差があります。これは信長の場合、それまでの功績が大きいから最後のミスくらい目を瞑ってあげようよというのに対して義元の場合、ちょっと功績はあったみたいだけど桶狭間のミスの帳消しにはちょっと足りないね、という評価からでしょうか。

まぁ、長々と書いたけれど、結局書きたかったのは、ライブドアの元社長堀江容疑者が後世にどのような評価を残すのか、つまり信長型なのか義元型なのか・・・ということなんですが。義元型かな。。。(たぶん)

*1:1536年:義元の異母兄である氏輝が急死した為、義元と異母兄の玄広恵探と家督争いになったが、太原雪斎の協力により義元が勝利した

*2:もちろん太原雪斎の尽力もあるが