幸せであることとそうでないこと:happiness

とあるサイトで幸せ論について議論されていたので書いてみる。

何が幸せで何が不幸かということを一言で言い切ってしまうことはあまりに恐れ多いことのように思えるけれどあえていうならば、

『幸せな人は自分が幸せであることに気がついている人だ』

そして、

『不幸な人は自分が不幸であると思い込んでいる人だ』

幸せ論についてはあまりに哲学的なことであるので、上のように定義してみたところで解決への糸口にはなりそうにもないけれど(何故なら哲学的な問題に明確な答えは存在しないと考えられているから)、このようにちょっとずつでも定義していくことはある時においては重要だと思う。

ここで道をそらして哲学について書いてみれば、
『哲学とは人類史上最大の役に立たない学問である』
とまぁこんなことを書いた瞬間に全世界の哲学者を敵に回したような気がするけれど、実際のところ哲学者本人たちがそう言っていたのでそうだと思う。

ただし、
『だからといって哲学が必要ないわけではない』
ということでもある。哲学というのは人間が“考える”という行為を始めたときから存在しており、その歴史はとても深い。そしてその哲学が未だかつて衰退し消滅しなかったことを考えると、
『哲学とは無駄学問ではあるが、人間にとって必要な学問である』
といえると思う。(こういうことを書けば、少しは敵が減ったかもしれない。)

少し幸せ論に話を戻せば、幸せについて考えることは無駄である。でも、幸せについて考えてみれば今まで気がつかなかった何かが気がつくかもしれない(それが今後役立つかどうかはわからないけれど)。

哲学とは、それ自体は無駄でも、何か哲学的なことを考えた時に今まで気がついてなかったことにふと気がつく機会を与えてくれる学問なのかもしれない。

そして最後にえらく哲学的なことを書いてみると、

『人はどこから来てどこへ行くのか』

これがわかった時、人という種の絶滅の時が来るのではないかと思うばかり。