三本の矢 : サンフレッチェ
時は戦国時代、1557年頃、安芸の国*1に毛利元就というおっさんがいたわけです。ある日、一人吉田郡山城の縁側で考えこむ元就。自分の遺言について。
今まで、出雲の尼子*2や周防の大内*3といった大が10個つくような大名や武田信元や信繁*4、陶晴賢*5のような強力な武将たちを何とか倒してきた。そろそろ歳だし、三人の子どもたち、隆元・元春・隆景も無事育ってきた。遺言でも残そうかと思うけれど特にいい案もない。たかが遺言されど遺言、後世に語り伝えられるかもしれないし無様な遺言は残せない。
困ったなぁと思いつつ、何かいい案が無いかと縁側の周りを見回すと、ふと目に付いた毛利の家紋。そこで元就、これだ!とひらめいた。
思い立ったら何とやら、子どものようにはしゃぎながら、重臣の志道広良*6に子ども達を今すぐ呼び寄せるように命じる。
しばらくすると、隆元*7・元春*8・隆景*9たちがこのくそ忙しいのに何事かとちょっとキレつつ元就のいる部屋にやってきます。その時、そうキレるなってもう、これだから最近の若いもんは、牛乳飲んでカルシウム取りなよ、と元就が言ったかどうか。
元就の前に座って並ぶ三兄弟。元就一呼吸置いて一言。
「隆景よ、矢を幾つか持ってまいれ」言われた隆景、なんで俺がと思いつつ近くの部屋から矢を持ってきて元就の前に置く。じゃらじゃら。
「元春よ、この矢を折ってみよ」といって元就は先ほど隆景が持ってきた中から一本の矢を手に取り、元春に差し出す。わけわかめ状態の三兄弟。
「良いから折ってみなって」せかす元就。
よくわからんけど、とりあえず矢を折ってみる元春。ぽき。当然簡単に折れてしまう。だって一本だし。
「ふむ。簡単に折れたな」自分で言っといて一人納得する元就。これだから老人は。
「では三本ではどうだ」といって今度は三本の矢を隆元に渡す。さらにわけわかめ状態の三兄弟。言われた隆元、とりあえず三本の矢を手にとって折ってみる。
あれ?おかしいなぁ・・・折れないぞ???
「ふむ。折れぬか」自分で言っといて一人納得する元就。
「では元春、代わりに折ってみよ」隆元は元春に矢を渡す。元春、日頃鍛えぬいた筋肉を自慢する機会とばかりに矢を折ってみる。
あれ?おかしいなぁ・・・なんで折れないんだ???
「ふむ、元春でも折れぬか。では隆景はどうじゃ?」今度は隆景に折らせてみる。三男坊の隆景、日頃から元春兄ちゃんのように鍛え抜いているわけじゃないけど力に自信はある。
あれれ・・・おかしいなぁ・・・折れねえ、てか折れる気配すらねぇ。
どんなに力をいれても折れない三本の矢。
「ふむ折れぬか。隆元よ、これがどういう意味か分かるか?」
「恥ずかしながらわかりませぬ・・・」三人ともはてなダイアリーなみの?が頭の上に灯る。
「つまりじゃな、こういうことじゃ」元就再び一呼吸入れる。老人の話は長く回りくどい。
「一本の矢ではすぐ折れてしまう。しかしな、矢が三本集まれば、日頃鍛えておる元春ですら折ることはできぬ。この三本の矢はお前たちのことじゃ」何となく分かってきた三兄弟。
「隆元よ、お前は長男であるからこれからも毛利家の跡継ぎとして毛利家を守っていかねばならぬ。そして元春と隆景よ、お前たちは弟であるからこれからも隆元の脇をしっかり補佐し毛利家を守っていくのじゃ。三兄弟が揃えば、その三本の矢の如く毛利家は強く繁栄していくだろうぞ」
これが世に有名な三本の矢の教えなのです。
とまぁ長ったらしく書いてみたのですが、この話作り話なのでトリビアとかに投稿しないように。
実際には三兄弟に当てたいわゆる三子教訓状という長く説教くさい教訓状があり、その中で三兄弟仲よくしなよみたいなことが書かれており、それが元になったと思われます。
また、毛利家の家紋の一つ、一の字に三つの丸は別に三兄弟だから丸を三つにしたとかそういうのではなく、一説によるとオリオン座の三つ星を毛利家の守護星としていた為、と言われています*10。
最後に、wikipediaより元就らしい言葉を。
『我が毛利家は天下を目指してはならぬ。ただ御家の繁栄と存続のみに全力を尽くせ』
この言葉がこの後の毛利家の運命を決めるわけなのです。