播磨灘物語

ふと思い立って、昨年末あたりからのんびり播磨灘物語を読んでいて、やっとこさ読み終わりました。
司馬遼太郎が主人公として取り上げた人物の中ではどちらかと言えばマイナーの部類に入ってしまうであろう、黒田官兵衛という人物の一生を4巻に分けて描かれています。


秀吉に仕えた軍師として有名なのは竹中半兵衛とこの黒田官兵衛のの二人ですが、無欲なイメージが強く若くして志半ばで死んだ半兵衛に比べ、その才能の不気味さから晩年は秀吉や徳川家康から遠ざけられてしまった官兵衛のイメージはあまりよくない、というのが世間一般の印象かと思うのですが、この播磨灘物語での官兵衛は、天下への野望を持ちつつも当時としてはまだ珍しかった"倫理観"から主君に忠実に仕え自身は絵を描くに留まるという姿が描かれています。
地方の小大名の家老という立場で織田家という大きな勢力から主君を守るために奔走し、最終的には主君に見捨てられ、一年もの間投獄されるという悲運を味わい、解放されたのちはどこか影を持ちつつも水を得た魚のように活き活きと秀吉の元で数々の策を巡らしていく姿はとても魅力的に映ります。
4巻で本能寺の変を秀吉に報告した際に
「さてさて天の加護を得させ給ひ、もはや御心の儘になりたり」
と言ったその瞬間が黒田官兵衛の人生において絶頂の時であり、同時に秀吉が晩年官兵衛を遠ざけるきっかけの一つとなった瞬間でもあったのではないでしょうか。


その後、繰り返し書いているように秀吉が天下を取ると同時に官兵衛の仕事も終わりとなり、本人もそれを悟ります。


後に官兵衛は自身のことを、
「臣ハソレ中才ノミ」
と評したとされています。上才であれば既に天下を取っていただろうし、下才であれば小大名の家老程度で終わっていただろう、要は中才であったということでしょう、と。


物語の端々で当時としてはある意味革新的であった、合理化と経済という新しい存在を自身の才能により早くからその重要性に気が付き、時に信長や秀吉を超えるほど上手く利用し戦国という時代を駆け抜けていった姿は、司馬遼太郎はぜひとも描きたいと思うに値する人物であるかと。


信長や秀吉のように実際に天下を取った(取りかけた)人物の話も十分面白いのですが、官兵衛のように天下を取れるだけの才能がありながら、その倫理観(主君を裏切ることはしない、出世欲に乏しい)やちょっとした流れの具合から天下を取りそこねた人たちの話もそれはそれで非常に興味深いものです。


「身ハ褒貶毀誉ノ間ニ在リト雖モ心ハ水ノ如ク清シ」
"如水"のもととなったと言われる古語がまさに官兵衛の生き様を表しているようです。