ツナグで御園が発した言葉の真意を分析してみた

ちょっと前に映画の方の「ツナグ」を見て気になった箇所があってこれは小説を買わねばと思いAmazonでポチッたもののそのまま机の上に放置されてはや1ヶ月近く経っていたのをやっと読みました。

 

以下かなり核心的なネタバレを含むので未読・未見の方はご注意下さいませ。

 

小説でも映画でもこの物語の一番のハイライトというか印象に残るシーンは小説における親友の心得だと個人的には思うのだけれど、その中で鍵となる「伝言」は果たして嫌味を含んだ悪意のある言葉で生き残った方の嵐をどん底まで突き落とす意図を持ったものなのか、それともそんな単純なものじゃなくてもっともっと深いものなのか。

 

状況を整理すると、

・御園は嵐を非常に慕っていた

・嵐は御園をどことなく下に見ていたと同時に嫉妬もしていた

・嵐の御園への嫉妬は主役の役柄を盗られた(と感じた)時から最大限に増加した

・御園はその状況に対して(おそらく)申し訳なさと同時に関係を修復したいと考えていた

・御園は歩美に対して明確な恋心を抱いていた

・嵐は歩美に対して恋心を抱いていたかどうかは明確ではない (映画と小説を比べると映画の方が恋心を抱いているような素振りは見せている)

・仮に嵐が歩美に対して恋心を抱いていたとして御園はその事を知らない (=嵐は歩美に対して恋心は無いと御園は思っている)

・嵐と御園は登校時に同じ坂を下っていて水道から水が流れることがあること、それが凍る可能性もあることを知っていた

・嵐は消極的な殺意から下校時に水道の水を出しっ放しにした

・御園はその姿を見ていた (可能性があるが明確ではない)

・御園が死んだ直接の原因は道が凍っていたことによるものではない (=水道の蛇口は何者かによって御園が死ぬ前に閉められていた)

・御園は死ぬ前に「嵐、どうして」という言葉を残している

・嵐は御園が水道の水を出しっ放しにしていた所を見ていたのではないかと考えている 

・嵐がツナグに御園と会うことを頼んだのは限られた1回を自分と会うことで強制的に消費させ、他の誰かに自身の御園への殺意をバレないようにする為

・御園もツナグも嵐が依頼した本当の理由は知らない (と考えられる)

・嵐はツナグが歩美だとわかった時に御園がよく言っていた言葉をそのまま歩美に伝えた (意図不明)

・御園はそのことを歩美から聞いたときに、例の伝言を残すことを決意した (と考えられる)

・御園は嵐と再開したときに見た瞬間「痩せたね」と声をかけている

・嵐は結局、御園に対して謝罪を行わなかった

・御園は嵐との対面で恨むようなことは一切言わなかった (関係が壊れる前の御園だった)

・御園は嵐との対面を通じて伝言を残すことを決意した

・伝言は歩美から御園に対して何かないか聞いて欲しいというものだった (=その時点で嵐は関係ない)

・御園はその伝言の内容をいつか自分に教えて欲しいとも言っている

・嵐は歩美からその伝言を聞いて非常に後悔した

・歩美はその伝言の正確な意味は知らない

と、長くなったけどこんな感じでしょうか。

 

ここで伝言の本当の意味をはかるためには幾つかポイントがあるかと思うのですが、一つ目は御園が伝言を残すことを決意した嵐の歩美への言葉が、一体どういった意図で発せられたのかということ。

1つ目としては、嵐は歩美に対して恋心を抱いており、気を引くために発したパターン。

2つ目は、ツナグが中途半端に面識のある歩美で、かつ自身の依頼動機が後ろめたいもので、話すのが気まずい為に場を取り繕うために出たパターン。

3つ目は、御園が結局歩美に対して伝えられなかった言葉を代わりに伝えてあげたパターン。

このシーンは1つ目か2つ目のパターンと取れる感じで、3つ目のパターンとは取りづらい感じにはなっています。特に御園が言っていたという事実をあえて隠しているので、よりそのような雰囲気にはなっています。(が、嵐の性格やその時の状況を考えると3つ目のパターンに2つ目の状況が重なったハイブリッド型というのも考えられなくもないです)

 

で、そのことを聞いた御園は伝言を残すことを決意するわけですが、その時に御園は上のどのパターンを想像したのか。それによって伝言の本当の意味が変わってきます。

単純に考えると1つ目パターンを想像し(かつ御園は嵐のしたことを見ていたと仮定すると)、御園からしてみると嵐は自身に対して殺意を抱いただけでなく想い人を奪い取ろうとした存在であり、出来る限り突き落とせる方法で突き落としてやろうと考えた結果、例の伝言をあえて残すことにしたのかと想像できます。伝言にしたのは、自身から言われるよりも奪い取ろうとした歩美から言われる方が破壊力が大きいと考えられるのと、仮に対面中に何らかの謝罪を嵐が行い、御園自身が許す気になった時になかった事にできるよう保険をかける為に、あえてこの方法にしたのかと思われます。

それだけのことをあの時に考え、かつ対面中はそんなことを全く感じさせない御園は大女優と言うしか無いです。 (小説でもそんな文言がありましたが)

特に再開直後の「痩せたね」という言葉はそれだけ心労があったのか、でもまだ足りない、という意図にも取れる印象的な言葉になります。

嵐も伝言を受け取った後、このように状況を理解し、非常に後悔することになるのですが、果たして御園は本当にそういう意図で伝言を残したのか、とちょっと引っかかるポイントがあります。

 

まず、御園が歩美から例の言葉を聞いたときに、その言葉が自分が死んだ後に発せられた言葉であるかどうかを確認しています。

御園の嵐を慕う性格を考えると、上記の3つ目パターンを想像したとも考えられる為、そうすると今度は一気に伝言の意味が変わってきます。

つまり、御園は嵐のしたことを見ていたと同時に自身が死んだのはそれが原因ではないということを知っており、御園側から見ると嵐は自分が御園を殺したと思い病んでいる可能性があり、それは違うんだよという意味で、「道は凍っていなかったよ=嵐のせいではないから気にしないでいいよ」という伝言を残したのではないかと。

あえて伝言という形にしたのは、出来れば自分でそのことを伝えたいけれど、もしかしたら伝えれないかもしれないから、保険の為にあえてそうした、と。

映画だと削られているのですが、嵐と御園の対面中、御園が嵐に対して隠していた漫画を処分しておいて欲しいと頼む箇所があります。本当に言いたかったのは伝言のことで、でもそれについて話してしまうと嵐は落ち込んでしまい、せっかくの対面が悲しいものになってしまう。出来る限り明るく美しいものにしたい、という思いからあえて避けたのではないか、と。

 

結局のところ、嵐自身はネガティブな受取り方をしたことにより一気に突き落とされるわけですが、後に書いたポジティブにも取れるように物語が書かれているのがこの小説の深さなのではないかと思います。

嵐からの目線でのみ語ることによって、御園の本当の気持が不明確になっており、本当の事実はどれなのか、嵐と御園はどういう形で対面するのがベストだったのか、と色々と予想することができます。

 

ツナグの他の章がわりとほのぼの感動系で書かれているのに対して、この章だけは正反対(でも良い話と取れなくもない)に書かれており、そのギャップが非常に印象深い作品であると感じました。こういう物語に触れたのは久しぶりかもしれません。

まだ映画も小説も1回ずつしか触れていないので、上の分析に誤認があるかもしれないので、何度か触れてもうちょっと検証してみたいです。

 

あと蛇足ではありますが、映画は小説より悪いみたいなレビューが幾つかありましたが、個人的には良い部分を上手く切り取ったいい作品に仕上がっていたのではないかと思います。

特に演じるのが難しそうな嵐を最近話題の橋本愛が上手く演じていたように感じました。

橋本愛は「桐島、部活やめるってよ」とドコモのCMくらいしか見たこと無いのですが、桐島の方の印象が強かったので今回の役所はかなり意外でした。でも良かった。