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1年


今の場所に来てどうやら1年たったようです。


2009年の1月に初めてここに来て、2月から社会人としての生活が始まったわけなんですが、
それは2004年の初夏に初めてアメリカの大地に足を踏み入れた時と同じくらい変化があって楽しかった。


何もかもが新しい世界。すべての情報を吸収し続けることができる世界。
それが新たに始まったのが、2009年の1月。


J.D. サリンジャーが最近亡くなったので、それに絡めて、
↓のブログでも触れられている、the cathcher in the ryeの一節。
J・D・サリンジャー逝去 - 琥珀色の戯言

でもね、この博物館のいちばんいいところは、なんといってもみんながそこにじっと留まっているということだ。誰も動こうとはしない。君はそこに何十万回も行く。でもエスキモーはいつだって二匹の魚を釣り上げたところだし、鳥たちはいつだって南に向かっているし、鹿たちはいつだって溜まりの水を飲んでいる。素敵な角、ほっそりしたかわいい脚も同じ。おっぱいを出したインディアン女はいつだって同じ毛布を織っている。みんなこれっぽっちも違わないんだ。ただひとつ違っているのは君だ。いや、君がそのぶん歳をとってしまったとか、そういうことじゃないよ。それとはちょっと違うんだ。ただ君は違っている、それだけのこと。今回君はオーバーコートを着こんでいるかもしれない。あるいはこの前に列を組んだときの君のパートナーは、今回は猩紅熱にかかっていて、君には新しいパートナーがいるかもしれない。あるいは君のクラスを今回率いているのはミス・エイグルティンガーじゃなく、代理の先生かもしれない。あるいは君はバスルームで母親と父親が激しい喧嘩をしているのを耳にしたあとかもしれない。あるいは君はさっき通りがかりに、水たまりにガソリンの虹が浮かんでいるのを目にしたかもしれない。つまり僕が言いたいのはさ、君はなんらかの意味でこの前の君とは違っているということなんだ。うん、うまく説明できないんだけどさ。それにもしうまく説明できたとしても、いちいち説明したいっていう気になるかどうかはわからないね。

エスキモーがいつも釣りをしている状況でも自分は常に変わり続けなければならない。
なぜなら自身はエスキモーと違ってそうならざるをえない存在だから。
ホールデンは自身がそうであることを直感的に理解してそれに対して切なさを感じているけれど、
その切なさを乗り越えて次のステージに進もうと足掻いている。


たぶん自分はもうそのステージは過ぎていて、さらに次のステージに突っ込んでる。


あと、ジョブスのスタンフォードの卒業スピーチでの↓のような言葉。

 私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。
スティーブ・ジョブズの感動スピーチ(翻訳)字幕動画


変化することに臆病であってはいけない。


そろそろ何かを変える必要があると悟れるようでなければならない。


常に変化を楽しめる存在でありたい。


2004年の初夏や2009年の初春のような時期をこれからもどんどん作り続けたい。


あれから1年が経過してそう思うわけなのです。