風立ちぬを観た

約2ヶ月ぶりの更新です。

暑い日が続きますが皆様いかがおすごしでしょうか。

 

そんなこんなで巷で話題になっている風立ちぬをやっと観てきました。新宿のバルト9は夜遅くまでやってて素晴らしいのだけれど、終電終わった後に家まで帰るにはちょっと遠いのが難点なので、バルト9を渋谷に作ってください。

 

ジブリの作品を劇場で観たのは確か千と千尋の神隠しが最後だったので10年以上前のことになるはず。というか、それ以降まともに観たことがあるのはハウルの動く城くらいで、それ以外は今でもほぼ未見状態。逆に千と千尋の神隠し以前のは劇場なりテレビなりで何度も観ていて作品によってはセリフもしっかり覚えている。

つまり、自分にとっては10年ぶり位のジブリ新作だったわけなのだけれど、観た感想としては、よくこんな作品を世に出せたなぁという印象。

流石ジブリの人たち、というか1シーン1シーンはとてもよく作りこまれていて、この映画のある意味テーマとも言える"美しさ"というのを最大限に押し出している。

話もジブリの作品にありがちな残り30分位でやたら駆け足になるという点はあるけれども、比較的綺麗にまとまっていたように感じた。

ただ、もうこれは個人的な好みの範囲に入ってしまうのだけれど、飛行機の設計に人生を捧げた天才技師の話としてまとめて欲しかった。もしくは関東大震災をきっかけに出会った少女との純愛物語。

既にどこかで指摘されていたけれど、主人公の恋人(妻)への対応が見るに耐えかねるレベルで酷い。その対応が作中全くブレてないという点においてはある意味"美しさ"を表現できているのだけれど。

仮にこの物語が自分以外に興味のない天才技師の話であれば、友人に対して会話になっていない返答をしたり、妹の存在を忘れ何時間も待たせたりという話も、変人としての存在感を際立たせる為に必要になってくるのかとは思うけれど、それを純愛のテーマと一緒に混ぜられると、主人公自体はそれで良いのかもしれないけれど、周辺の人物の気持ちを考えると非常に荒んだ気持ちになる。

あくまでも"美しさ"がテーマなのであれば、天才技師が限られたリソースと数十年遅れた技術の中で苦悩しながら最高の飛行機を作るという一点に絞った話の方がより美しくまとまったのではないかとさえ思える。

とはいえ何かしらの意図があってこのような構成にしたのだとは思うので、その辺の話ってどこかに落ちてないのかな。

この映画はまだ1度しか観ていないし 、何回か観るとか、もしくは数年後に観るとまた印象も違ったものになるのかとは思うけれど、ひとまず初見ではこんな印象でした。

 

それはそうと、関東大震災の表現の仕方は観ている方まで恐怖を与える非常に良い表現方法だと思いました。ちょっとハリウッドっぽかったけど。

ツナグで御園が発した言葉の真意を分析してみた

ちょっと前に映画の方の「ツナグ」を見て気になった箇所があってこれは小説を買わねばと思いAmazonでポチッたもののそのまま机の上に放置されてはや1ヶ月近く経っていたのをやっと読みました。

 

以下かなり核心的なネタバレを含むので未読・未見の方はご注意下さいませ。

 

小説でも映画でもこの物語の一番のハイライトというか印象に残るシーンは小説における親友の心得だと個人的には思うのだけれど、その中で鍵となる「伝言」は果たして嫌味を含んだ悪意のある言葉で生き残った方の嵐をどん底まで突き落とす意図を持ったものなのか、それともそんな単純なものじゃなくてもっともっと深いものなのか。

 

状況を整理すると、

・御園は嵐を非常に慕っていた

・嵐は御園をどことなく下に見ていたと同時に嫉妬もしていた

・嵐の御園への嫉妬は主役の役柄を盗られた(と感じた)時から最大限に増加した

・御園はその状況に対して(おそらく)申し訳なさと同時に関係を修復したいと考えていた

・御園は歩美に対して明確な恋心を抱いていた

・嵐は歩美に対して恋心を抱いていたかどうかは明確ではない (映画と小説を比べると映画の方が恋心を抱いているような素振りは見せている)

・仮に嵐が歩美に対して恋心を抱いていたとして御園はその事を知らない (=嵐は歩美に対して恋心は無いと御園は思っている)

・嵐と御園は登校時に同じ坂を下っていて水道から水が流れることがあること、それが凍る可能性もあることを知っていた

・嵐は消極的な殺意から下校時に水道の水を出しっ放しにした

・御園はその姿を見ていた (可能性があるが明確ではない)

・御園が死んだ直接の原因は道が凍っていたことによるものではない (=水道の蛇口は何者かによって御園が死ぬ前に閉められていた)

・御園は死ぬ前に「嵐、どうして」という言葉を残している

・嵐は御園が水道の水を出しっ放しにしていた所を見ていたのではないかと考えている 

・嵐がツナグに御園と会うことを頼んだのは限られた1回を自分と会うことで強制的に消費させ、他の誰かに自身の御園への殺意をバレないようにする為

・御園もツナグも嵐が依頼した本当の理由は知らない (と考えられる)

・嵐はツナグが歩美だとわかった時に御園がよく言っていた言葉をそのまま歩美に伝えた (意図不明)

・御園はそのことを歩美から聞いたときに、例の伝言を残すことを決意した (と考えられる)

・御園は嵐と再開したときに見た瞬間「痩せたね」と声をかけている

・嵐は結局、御園に対して謝罪を行わなかった

・御園は嵐との対面で恨むようなことは一切言わなかった (関係が壊れる前の御園だった)

・御園は嵐との対面を通じて伝言を残すことを決意した

・伝言は歩美から御園に対して何かないか聞いて欲しいというものだった (=その時点で嵐は関係ない)

・御園はその伝言の内容をいつか自分に教えて欲しいとも言っている

・嵐は歩美からその伝言を聞いて非常に後悔した

・歩美はその伝言の正確な意味は知らない

と、長くなったけどこんな感じでしょうか。

 

ここで伝言の本当の意味をはかるためには幾つかポイントがあるかと思うのですが、一つ目は御園が伝言を残すことを決意した嵐の歩美への言葉が、一体どういった意図で発せられたのかということ。

1つ目としては、嵐は歩美に対して恋心を抱いており、気を引くために発したパターン。

2つ目は、ツナグが中途半端に面識のある歩美で、かつ自身の依頼動機が後ろめたいもので、話すのが気まずい為に場を取り繕うために出たパターン。

3つ目は、御園が結局歩美に対して伝えられなかった言葉を代わりに伝えてあげたパターン。

このシーンは1つ目か2つ目のパターンと取れる感じで、3つ目のパターンとは取りづらい感じにはなっています。特に御園が言っていたという事実をあえて隠しているので、よりそのような雰囲気にはなっています。(が、嵐の性格やその時の状況を考えると3つ目のパターンに2つ目の状況が重なったハイブリッド型というのも考えられなくもないです)

 

で、そのことを聞いた御園は伝言を残すことを決意するわけですが、その時に御園は上のどのパターンを想像したのか。それによって伝言の本当の意味が変わってきます。

単純に考えると1つ目パターンを想像し(かつ御園は嵐のしたことを見ていたと仮定すると)、御園からしてみると嵐は自身に対して殺意を抱いただけでなく想い人を奪い取ろうとした存在であり、出来る限り突き落とせる方法で突き落としてやろうと考えた結果、例の伝言をあえて残すことにしたのかと想像できます。伝言にしたのは、自身から言われるよりも奪い取ろうとした歩美から言われる方が破壊力が大きいと考えられるのと、仮に対面中に何らかの謝罪を嵐が行い、御園自身が許す気になった時になかった事にできるよう保険をかける為に、あえてこの方法にしたのかと思われます。

それだけのことをあの時に考え、かつ対面中はそんなことを全く感じさせない御園は大女優と言うしか無いです。 (小説でもそんな文言がありましたが)

特に再開直後の「痩せたね」という言葉はそれだけ心労があったのか、でもまだ足りない、という意図にも取れる印象的な言葉になります。

嵐も伝言を受け取った後、このように状況を理解し、非常に後悔することになるのですが、果たして御園は本当にそういう意図で伝言を残したのか、とちょっと引っかかるポイントがあります。

 

まず、御園が歩美から例の言葉を聞いたときに、その言葉が自分が死んだ後に発せられた言葉であるかどうかを確認しています。

御園の嵐を慕う性格を考えると、上記の3つ目パターンを想像したとも考えられる為、そうすると今度は一気に伝言の意味が変わってきます。

つまり、御園は嵐のしたことを見ていたと同時に自身が死んだのはそれが原因ではないということを知っており、御園側から見ると嵐は自分が御園を殺したと思い病んでいる可能性があり、それは違うんだよという意味で、「道は凍っていなかったよ=嵐のせいではないから気にしないでいいよ」という伝言を残したのではないかと。

あえて伝言という形にしたのは、出来れば自分でそのことを伝えたいけれど、もしかしたら伝えれないかもしれないから、保険の為にあえてそうした、と。

映画だと削られているのですが、嵐と御園の対面中、御園が嵐に対して隠していた漫画を処分しておいて欲しいと頼む箇所があります。本当に言いたかったのは伝言のことで、でもそれについて話してしまうと嵐は落ち込んでしまい、せっかくの対面が悲しいものになってしまう。出来る限り明るく美しいものにしたい、という思いからあえて避けたのではないか、と。

 

結局のところ、嵐自身はネガティブな受取り方をしたことにより一気に突き落とされるわけですが、後に書いたポジティブにも取れるように物語が書かれているのがこの小説の深さなのではないかと思います。

嵐からの目線でのみ語ることによって、御園の本当の気持が不明確になっており、本当の事実はどれなのか、嵐と御園はどういう形で対面するのがベストだったのか、と色々と予想することができます。

 

ツナグの他の章がわりとほのぼの感動系で書かれているのに対して、この章だけは正反対(でも良い話と取れなくもない)に書かれており、そのギャップが非常に印象深い作品であると感じました。こういう物語に触れたのは久しぶりかもしれません。

まだ映画も小説も1回ずつしか触れていないので、上の分析に誤認があるかもしれないので、何度か触れてもうちょっと検証してみたいです。

 

あと蛇足ではありますが、映画は小説より悪いみたいなレビューが幾つかありましたが、個人的には良い部分を上手く切り取ったいい作品に仕上がっていたのではないかと思います。

特に演じるのが難しそうな嵐を最近話題の橋本愛が上手く演じていたように感じました。

橋本愛は「桐島、部活やめるってよ」とドコモのCMくらいしか見たこと無いのですが、桐島の方の印象が強かったので今回の役所はかなり意外でした。でも良かった。

 

マクドナルドについて考えてみた

このところ迷走気味のマクドナルドが話題にのぼることも多いですが、個人的な観測範囲内で考えたこうしたら良いんじゃないか案をさくっと書いてみます。

 

あくまでも自身の観測範囲内でのことなので店舗によって大きく差は出るかと思うのですが、都内の店舗に限定した場合、大体の店舗がピークタイムでなくてもレジの前には多少の列があり、店内で食べようと思うときは事前に席が空いているか確認する必要があるほど混み合っている店舗が多いと思われます。

傍目から見たら繁盛している店舗であり、正直なところこれで業績が不調で〜という話になると根本的なビジネスモデルがどっかおかしいと言わざるを得ないです。

人が沢山来ているのに儲からないとなると単純に考えれば客単価を上げるか、回転率を上げるかのどちらかを行うのが定跡かと思いますが、そのどちらもイマイチ上手くいってない感触です。

 

まず現状のメニュー構成を見たときに、一般的にはちょっと高く感じる500円以上のセットメニューとデフレの象徴とも言える100円・120円商品が混じっています。

また都内の店舗を見たときに、ここ数年マックカフェといった新しいコンセプトの店舗に順次改装されてきており、オシャレなカフェになってきています。

ここに店内は混み合っているのに儲からないという原因の一つがあり、100円のコーヒー1杯で長居出来てしまう(長居したくなるようなくつろげる空間をわざわざ提供している)為、客単価は低いのに回転率は非常に悪い、他の客は席があいてないから他の飲食店に行ってしまうという負のスパイラルが出来上がってしまっている気がします。

 

ちなみに余談なのですが、これは日本のスターバックスにも似たようなことが言えると思っていて、カフェなのに席があいてなくて入れないというよくわからない現象を起こす位なら、100円とか200円コーヒーに上乗せしても良いから行けば確実に30分は座れる位の環境を提供して欲しいと思います。スターバックスのコーヒーのあの価格にはもちろん上質なコーヒーを提供するために必要な対価という面もありますが、自宅でも諸ky場でもないサードプレイスを利用するための対価も含まれているはずなので、日本の都市部の高いコーヒー買ったけど座れない現象はスターバックのコンセプトすら破壊していると思います。スターバックスの場合はコーヒーとしてはわりと高めな価格帯なので、多少価格を上げた所で解決策になるかどうかわからないですが、何とかして解決して欲しい問題かと思います。

 

で、マクドナルドの話ですが、もし仮にマクドナルドがファストフードとして攻めの姿勢を見せていくのであれば、ライバルは所謂牛丼チェーンのようなところであり、300円以下で店に入ってから10分以内には退店している位の回転率を達成する必要があります。

つまり、商品は価格も安く作るのが簡単な100円・120円マックのみを提供し店内もマックカフェみたいな長居できる内装は辞めて、立席だけにしちゃうとか、場合によってはテイクアウトのみ扱うとかそういう方に振る必要があります。

 

そういうのではなくもっと客単価をあげていきたいんだという場合は、現状の低価格帯の商品は一切取りやめ、500円以上のセットメニューも更に高めの価格帯にあげておく、店舗の内装に関しては現状のマックカフェ、もしくはそれ以上こだわり、自身の商品を存分に味わえる空間を提供するという方向に切り替える必要があります。仮にこっちの方向だと、戦略的にはハンバーガーチェーンだとモスバーガーフレッシュネスバーガーとか、更に価格をあげるとクア・アイナとかに近い感じでしょうか。

 

この2つの方向のうち、どちらが良いかについては実際のところ同じチェーンでも店舗によって違いがあると思っていて、ざっくり都市部と地方、更に言えばイートインかテイクアウトなのかの客の比率によってとるべき方向が定まってくる気がします。

 

都市部に関しては実際のところ低価格帯の飲食は捨てるほど溢れており、コストパフォーマンスで劣るマクドナルドが攻め入る余地はちょっと厳しいのではないかと思います。お腹の足しになれば良いっていう需要であればマクドナルドより安い飲食店は沢山あり、同じくらいの価格帯ではわざわざ混んでいるマクドナルドに行く理由は弱いです。

そこに参戦するよりは、モスバーガーフレッシュネスバーガー並の価格帯で提供し、くつろげる雰囲気の店内で味わってもらうという戦略のほうが、来客の数は減りますがその分客単価が上がるため、仮に回転率が更に下がったとしても十分ワークするのではないかと思います。都市部でここのジャンルに参戦した場合は、先ほどのハンバーガーチェーンの他にも小規模なプレミアムバーガーを提供する店舗などとも戦うことになりますが、現状のマクドナルドの資金力と商品開発力を考えれば圧勝はできなくても負けることはまず無いのではないかと思います。

従来のファストフードのイメージなんて捨ててしまい、カジュアルに楽しめるプレミアムバーガーみたいなコンセプトで駅前にオシャレなカフェを展開すれば良いのではないでしょうか。

 

逆に地方の店舗、特にドライブスルーなどのテイクアウト率が高く、イートインの比率は低いような店舗は上記みたいな施策をしても誰も寄り付かないようになるだけなので、手間のかかる高価格帯の商品は一切取り扱わず、現状の100円マック+αくらいに限定してひたすら薄利多売を目指すべきです。メイド・フォー・ユーとかも辞めて、頼んだら10秒後位には出てくる位の速さで。ポテトも一緒についてきちゃう位の。地方の場合は低価格飲食店の選択肢は少なく、同じ価格帯かちょっと高め位で、頼んだら最速で出てくる、かつ味は均一というメリットに対する需要は十分にあるかと思います。

 

またこの二つの方向を同じブランドでやるのはちょっと厳しいかもしれないので、何らかの形でブランドを分けたほうが良いかもしれません。

どちらかにマクドナルドのブランドを使うのか、それとも両方新しいブランドをつけてあげるのかはわかりませんが、個人的には既にファストフードのイメージが強いマクドナルドを地方の格安店、都市部のプレミアムバーガーの方はマックカフェか別なブランドを付けて別物として展開するのもアリかと思います。

 

おそらくマクドナルド側でもこのようにつらつら書いていることは既に把握していて、一部は少しずつ動き出しているような印象は伺える為、何年かすればそういう形になるとは思います。批判を恐れてないのか、じわじわとやっている感じですが、こういうのはさくっとマイルストーンを発表して一気にやってしまう方が最終的な衝撃は少ないような気がします。勇気がいりますが。。。

海外のブランドなのにこれほど日本に馴染んでいるブランドはそう数多くはないので、ぜひとも上手くいって欲しいと思います。

 

sakura project 2013

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春というか、もはや初夏に近い位になってしまったのですが、やっと今年の桜の写真を公開することができました。

 

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今年は都内では思ったより早く桜が開花したり天候が悪い日が続いたため、かなり危ういところだったのですが、何とか公開できる位の量を確保することができました。(一応去年とは別な場所もかなり行って撮ったのですが、天候が悪くほとんどがボツになってしまいました・・・。来年こそは使いたい。)

時間があれば去年のと合わせて写真集とか作ってみたいところ。

戦国時代の混乱っぷりをざっくりと書くと

戦国時代というか、室町時代後半辺りから江戸時代に到るまでの混乱っぷりをざっくりと書くと、

 

その昔、8代将軍足利義政のヘタレっぷりから発生した応仁の乱によって、それまでかろうじて保持していた実権は、家臣にあたる細川や山名といった有力守護大名に奪われる。

 

実権を得た細川や山名も応仁の乱やお家騒動でグダグダ状態に陥るも、細川晴元の時代に何とか一時的にまとまり、室町幕府とは別に堺公方なる政権をたてる。

 

せっかく政権をたてるも、離反した家臣の三好長慶によって追い出され、三好政権が樹立。

 

大阪・京都・四国東部辺りを支配下に置き、将軍を差し置いて天下人状態になった三好長慶も弟達や子どもが相次いで戦死したこともあり弱体化、家臣の松永久秀による傀儡政権になっていく。

 

三好長慶の死後、松永久秀が実質三好家を乗っ取り、三好三人衆を使って時の室町将軍足利義輝をあっさり誅殺する。足利家からしてみれば家臣(細川)の家臣(三好)の家臣に殺されたようなもん。

 

将軍を誅殺したことにより実質的に畿内を掌握した松永久秀も、三好三人衆との対立により劣勢になりつつあった為、当時勢力を伸ばしていた織田信長の傘下へ。

 

ちなみに織田信長の家系は有力守護大名斯波家により尾張の国の一部の守護代を任じられた織田家の分家で将軍家に実権があった頃であれば存在すら認知されない位の家柄。

 

その織田信長によって将軍にしてもらった15代足利義昭が後に信長包囲網を形成し、松永久秀も離反、居城で爆死。義昭も西へ追い出される。

 

このまま信長が天下人として全国統一するかと思いきや、家臣の明智光秀によって誅殺され、その明智光秀も信長の家臣の羽柴秀吉に敗北し、戦死。普通だと信長の孫が織田の家督を継ぐはずなのに、秀吉に祀り上げられるだけ祀り上げられ、徳川家康が傘下に入った頃には岐阜城の一城主にまで落とされる。

 

秀吉が全国を統一し名実共に天下人となるも、その死後家臣筋にあたる家康により滅ぼされ、江戸幕府が樹立されました。

 

かなりざっくりと書いてるので詳細は違うところもあるけど、戦国時代の畿内辺りは実権を取っても、その後1代か2代位でその家臣によって奪われてしまっているところが戦国時代の混乱っぷりを表しているのかなと。元々室町将軍自体が3代将軍の足利義満より前や籤引き将軍で有名な6代将軍足利義教辺り以外は実権のようなものを持ちあわせておらず、有力守護大名たちによる連合政治だったのが原因っちゃ原因ですが。

 

ちなみに主君の弱体化に伴って家来が実権を握っていくというパターンは鎌倉時代にもあって、

 

鎌倉幕府初代将軍源頼朝の死後、2代目3代目と続くが色々とあってほぼお家断絶、後のお飾り将軍は京都の公家から適当な人を選んで連れて来る形になり、実権は御家人の北条家が執権という形で握る。

 

北条時宗辺りの頃から北条本家の得宗家の家来である内管領が実権を握り始め、霜月騒動以降は、得宗家の権威を高めることによって内管領の権威を高めて、いつの間にか他の御家人より上位の存在となる。(御家人からしてみると、同僚の部下に過ぎなかったはずなのにいつのまにかこき使われる存在になってしまった)

 

結局、内管領専制政治鎌倉幕府滅亡まで続きます。

 

やはり横から力技で乗っ取るより、上に頑張ってもらっていい感じになったところで退場してもらってすり替わるっていう方が比較的スムーズに進むのでしょうかね。